無為な日常
 
昨日と同じ今日、今日と同じ明日・・かい?
 



2009年5月18日を表示

[ゲーム]シークレットゲーム_総評2

さぁ最後だ! というか長すぎ。

以下ネタバレ





・非日常だからこそ
繰り返すがSGは銃をぶっ放す話ではない。日常と非日常との間で、人がどんな選択をし、どう変わっていくか、そんな物語である。
印象に残っているのがSGEp2、麗佳デレモード後、葉月達と合流した後にヘビーピストルを見つけたとき。このとき葉月は総一に「試してみるか?」と銃を手渡そうとする。そして麗佳に怒られるわけだが・・・。
葉月は優希とは違う意味で平和の象徴である。そんな彼でさえあの状況では飲まれるわけだ。人は適応という名の狂気に身をゆだね、気づけばもう元に戻れないところまで来ている。そんな中、日常というものはさぞ輝いて見えるに違いない。
総一は、最も非日常でありながら日常に固執するという立ち位置であった。だからこそ、彼を中心に(表現が悪いが誘蛾灯のように)物語を巻き込んでいくのであろう。

・ジョーカーの意味
存在意味そのものは作中郷田が言っている通り疑心暗鬼を促すものである。事実麗佳、手塚はジョーカーの重要性に気づき真っ先に一人になる。
が、実はジョーカーがうまく使われる場面はほとんど無い(物語上重要だったのはKQのエピソードのみ、SGでは存在感皆無)。
これは総一視点の物語だから、というのが理由としては強い。手塚視点の物語なら彼はジョーカーを使いこなしてくれるだろう。
とまぁジョーカーを前面に出したエピソードが欲しかったが、ちょっときついかな。

・派手に散れば出番がなくなるぜ?
総一側に立つ連中全般に言えること。マジで無くなる。まぁそぅ何度も死んだらたまったものでないが。

・無くなったソフト
QK→SGに至ってなくなったソフトがある。というかQKでも使ってないソフトあるけど。ジョーカー探索とか。
そしてその中でも重要なものがある。進入禁止エリアを歩けるソフトだ。
これはシナリオ上半端になりやすいから無くしたのかもしれない。また、首輪が外れても必ずしも安全でない、というのはプレイヤー側の心理にも悪いかもしれない。

・最も長い1時間
実は欲しかった終わり方の一つ。最後まであると思ってたけど結局無かった。
SGEp3bで総一が言っているけど、勝利条件は首輪を外すことではなく、73時間生き残ることである。首輪はそのための壁に過ぎない。
QKでは首輪は爆発するため、事実上死は回避不可能。しかしSGは? 死は施設のシステムが執行するだけで、首輪はトリガーに過ぎない。この変化からSGでは1時間生き残る、といったものがあると読んだ。
体を張り続けた総一、だからこそ皆は今度は自分達が総一を助けると決心する。ゲームから総一を、守るのだ。

現実にはマスター権限を剥奪された渚か郷田、そして高山か手塚が必須なのだが。あとは自殺しようとする総一を止める誰か。
条件がちと厳しい濃~いシナリオになりそうだぁねぇ。無くて至極残念だ。

・手塚ゾーン
ゲーム音楽館でThe dead' blessingがあったがこの一言にはワロタ。手塚、輝きすぎです(笑)。

・シークレットゲーム2、だと?
無論、無いだろ。そもそもSG自体が一発ネタだ。追加ディスクはSGそのものだし、まずありえまい。
が、ちょっと考えてみる。
まず正史はKQEp1だな。すでにSGでないがまぁいい。次に続キャラだが葉月の娘が濃厚、むしろ主人公でもいいかも。かれんは無い。
ルールは多分半分ぐらいは変わる。なにせ何回も繰り返されたゲームだ、ルールが30くらいあってその中からチョイスされているに違いない。
場所は、どうだろ。別に変わってもいいが・・・。遺留品はないし。
う~ん、しかし総一がいないと普通のバトロワちっくになりそうな予感。総一は偉大だ。

・実はキラークイーンで完成されている
個人的にはそう思う。SGやったあとでKQやるとホントに。
まぁSGEp1では内容を薄めなくてはならず、SGEp4では趣旨が違うからねぇ。1本のゲームとしての都合上しかたないか。

・最後に
なんか毒吐いてることの方が多い気もするが、私はシークレットゲーム、ならびにキラークイーンは好きです。なにせ気づいたら時間が過ぎてるゲームなんて(個人的に)そうそうないしね。
まぁともあれ、"人"を描いたこの作品はすばらしい作品だと思います。

(まぁ(外面は)完璧すぎる主人公を毛嫌いする人はちょっときついかもねぇ)



5月18日(月)17:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ゲーム | 管理


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